原稿を補強していく必要性
佐山 『サッカー批評』に掲載された『杉山隆一のラストパス』(2001年)は拝読しましたよ。あの頃の『サッカー批評』は誌面をすごくきれいにつくっていた時代でしたね。杉山さんといえば、家業の酒屋さんを継ぐと言って74年にさらっと現役を辞めてしまった印象が残っているけれど、僕からみればなぜそんなに早く? という思いがいまだにある。
後藤さんは今からでも『ラストパス』の続編を書くといいと思います。個人的には“釜本=王貞治、杉山=長嶋茂雄”という感じだったんです。
最近になって、かつての自分の本を復刊するために、古い原稿のくどい表現を吐きそうになりながら少しずつ直してみたんですが(笑)、もう表現が古くてびっくり。「こと」なんかみんな漢字の「事」。「はず」も「筈」で漢字だらけ。全部を修正してしまう訳ではなくて、残すところは残しましたけどね。でもそういった読み直す作業の中で、見えてくることもあるんです。
だからこれからは、若いライター諸氏も一度書いたものを大切に考えて何回でも補強を繰り返していいんじゃないかな。最初に書いたものを「企画書」ぐらいに考えての作品化が大事です。昨秋、僕は夫婦の対話形式の本『「花子とアン」のふるさとから ─夫婦で歩く馬込文士村ガイド─』をつくったんです。ガイドブックということでかなり端折ったこともあるので、次の段階ではこれを企画書がわりに深堀りしようと思っています。
後藤 『「花子とアン」のふるさとから』は電子書籍プラス、プリント・オン・デマンド(以下POD、注文ごとに1冊から印刷販売する出版方法)ですよね。いまお話に出た復刊シリーズ『サヤマ・ペーパーバックス』(※)も同じ出版形態でスタートしましたけれども、どういうお考えなんですか。
佐山 だいぶ前に知り合いの猪瀬直樹氏から、「連載を単行本化して版を重ねれば文庫になる。その本が更に話題になれば、講演の仕事が来て、あれば、CMの仕事も受ける」というのが物書きのある種理想的なサイクルだと教えてもらったことがある。だから、『サヤマ・ペーパーバックス』についていうと、要は新しいメディアを使った「文庫化」兼「選集化」なんですよ。で、こういったことはベテランや年配の書き手こそがまずやるべきことなのだと思いました。
苦手なIT社会で苦労したり改善意欲を示すのが年寄りの次の仕事なんじゃないかな。若いひとが先行して年上の世代と断絶を深めるよりは、ジジイが率先して苦労して、エイジレスな感覚で互いに傷を舐め合うというか、場合によっては若いひとを巻き添えにすれば、と(笑)。若い人は若い人で「年金で少しはおごれ」とかもっといってもいいんじゃない?