ノンフィクションの柱が折れたとき
後藤 書店でもあまり見ないですね。有名人の語りおろしなら……。
佐山 聞き手の糸井重里さんが完全に姿を消すかたちで聞き書きをした矢沢永吉の『成りあがり』のように〈随舌(ずいぜつ)〉、つまり“問わず語り”ふうにまとめれば売れやすいのかな。
80年代にデーブ・スペクターが『週刊文春』で「デーブ・スペクターのTOKYO裁判」というインタヴューの連載をしていた時期があって、ぼくは彼のユダヤ的なジョークも含めて結構好きだったんです。ところがいちいち有名人を怒らせたり“おちょくって”いたせいなのか、あるときぷっつりと終わってしまった。どうもあのあたりが分岐点だったのかもしれない。
『徹子の部屋』しかりで、以後は中正穏当な、それこそ“なでしこ”たちの仕事になっていくんです。インタヴューはノンフィクションの基礎でしょ。だからやっぱりこの国でノンフィクションを続けるのは厳しいのかもしれない。佐野眞一、猪瀬直樹のいわば「ノンフィクション作家2トップ」からして自爆テロ(※佐野は週刊朝日の橋下徹記事連載中止、猪瀬は東京都知事辞任)のようなことになってしまうし……。
後藤 ノンフィクションの柱がぽっきりと折れてしまいましたね。
佐山 百田某の自称ノンフィクション『殉愛』もなんだか妙なことになってるしね。でも、アメリカのニュージャーナリズムの影響を受けた80年代前半からのノンフィクション・ムーブメントの擁護者としての徒労感、挫折感はあまりないです。同志との二人三脚ないしは孤軍奮闘でやりきればいいだけの話なので。
後藤 『フットボール批評issue02』の座談会では、幅允孝(ブックディレクター、『サッカー本大賞(※1)』選考委員)さんが「読者の持久力が著しく低下している」とおっしゃっていますが。
佐山 たしかに昔は分厚い本を「読破した」と自慢気に語る若いひとがいたものです。ここ数年は、学生運動を扱った小熊英二の『1968』(新曜社)が物凄い厚さでしたね。1冊で15冊くらいの感覚でした。書評を書くためにひと夏かけて読んでいたら、一ヶ月の収入が5万円とかになっちゃった(笑)。
後藤 各巻1000ページ超の上下巻。やっぱり長いものを読まないといけませんか。