少なかったメディア。選ばれし者の恍惚と作家たちへの憧れ
後藤勝 いま「ライター」という職業が同時代的なものではなくなりつつあるのではないか、という危機感があると思います。佐山さんはどう思われますか?
佐山一郎 話が少し回り道になるけど、自分の場合は、文学を受容する環境においてかなり大人びた高校時代時代を送ることができたんです。吉行淳之介、安岡章太郎、遠藤周作さんといった「第三の新人」(と称される1920年代生まれの作家群)の作品や、その前の中学時代からよく読んだ「どくとるマンボウ」シリーズの北杜夫さんなどの影響を色濃く受けています。
北さんは昭和一桁生まれだけど、彼が自分の両親と同世代だと今初めて気づいたぐらいに「作家」という人たちが特殊だったわけです。「ライター」という人たちではあっても、やっぱり権威は権威です。
高校時代が1970年前後。サッカー界も64年の東京五輪と68年のメキシコ五輪で好成績を収めた後だから幸せな時代だったと言えるでしょう。皆が“マセてなければいけない”という時代ですから同時代の権威あり過ぎ大作家諸氏の作品がどの媒体に載るかというようなことも段々わかってくる。
庄司薫の「薫くん」シリーズは『中央公論』に載ってるのかぁ、五木寛之さんは『平凡パンチ』や『小説現代』なんだなぁというふうに。書き手と雑誌が同時代的に進行していく実感を持てた時代だったわけです。メディアの数が少なかったからこその、選ばれし者の恍惚とその人たちへの憧れが半端じゃなかったことは確かです。
あとは寺山修司さんの影響も強くて、彼の場合は、雑誌というよりは演劇実験室『天井桟敷』と書くものとが一緒に進行して行く感覚。というか彼自身がメディアになっちゃってた。で、60年代後半ぐらいからは、三島由紀夫さんもそうだったけど、作家たちの“対談集”というものがよく出たんです。
日頃はいかにも難しい顔つきをしているひとたちなのに、読んでみるとこれがいちいちおもしろい。構成しておもしろくしていた人にも実力があったんです。当時から僕はそういった対談や座談会が大好きでした。そうこうするうちに、アンディ・ウォーホルが69年にニューヨークで創刊した雑誌『Interview(インタヴュー)』(※のちに佐山氏が編集長を務めた雑誌『スタジオ・ボイス』は同誌と独占契約を結んだ提携誌)と出会うわけ。
内容の8割、9割がインタヴューという思いきったコンセプトに“イカレて”しまったんです。評論はほとんどないし小説もない、ひたすら一問一答形式のロング・インタヴューと(見開きの)片側を裁ち落とした高解像度の写真で構成されていて、おおっ、ここまでやるのかと羨ましかったんです。『Interview』を六本木の洋書屋さんで知ったのは10年遅れの79年ごろだったんですけどね。でも、残念ながら日本ではインタヴュー集ってウケないですね。今はその辺どうなの?