ユナイテッドで成功を収めた朴智星。その影には李の存在があった
だが代表チームは黄金時代の波に乗れず、2006年ドイツ大会で1次リーグ敗退。2004年、2007年のアジア杯でも目覚しい功績を収められず迷走した。
いかなる状況でも最善を尽くし努力を怠ってこなかった李は、2002年絶頂からのチーム作りが失敗に終わったことに首を傾げる。
「当時の韓国は本当に素晴らしいチームだったが、さらに向上させられる部分もあったと思う。実力だけで言えば、アジア最強の地位に近い存在だったことは間違いない」
代表チームが機能不全になる一方で、李は自身のキャリアを順調に築き上げ、母国でともに闘ったフース・ヒディンク監督や朴智星(パク・チソン)と、オランダのジャイアントクラブであるPSVアイントホーフェンに加入した。
PSVのアシスタントコーチを務めたファーベーク氏は、李がオランダで成功することに疑いはなかったし、オールド・トラッフォードで最高の時間を過ごした朴にとっても彼抜きでは成功し得なかったと信じている。
「どの韓国人選手にも言えるが、李は特に向上心に溢れ、厳しいトレーニングを実践することを厭わなかった。
クラブで共に闘えたことは名誉なことだ。彼がPSVに移籍してきたばかりの頃、欧州のプレースタイルやライフスタイルに適応できるかどうか心配だったんだがね。
超人的な鍛練を積み、欧州でも偉大な選手の一人になった。彼は全ての同僚やメディアの尊敬を集める存在になったんだ。さらに彼の外向的な姿勢や道理をわきまえた話し方も人気を博した理由だね。
私はいつも朴に彼への感謝を決して忘れるなと言っている。朴は英語を全く話さなかったし、ピッチ外ではかなり内気だった。しかし、オランダでは彼があらゆる面で朴の面倒をみていた。もし朴が独力で取り組まねばならない状況だったら、欧州で生き残れなかっただろう」