協会に任命責任はあるのか?
スペインから思わぬ知らせが届いたのが10月初旬。そこから事態は収束するどころか、急速に進展している。日本代表のハビエル・アギーレ監督をめぐる八百長関与疑惑だ。
はじめは監督へのヒアリング程度に留めていた日本サッカー協会(JFA)も、スペイン検察反汚職局がアギーレ氏を告発したことで重い腰を上げた。協会の大仁邦彌会長は“告発が受理されれば解任”の検討を示唆、また、協会はスペインからの情報を正確に掴むため関係者を派遣した。
事態が加速すると日増しに大きくなるのが、“任命責任”を問う声だ。疑惑のある監督をなぜ協会は選んでしまったのか、というものだ。メディア、一般のサッカーファン、双方からそのような声はあがっている。
だが、アギーレ監督の任命という点においては、協会に責任はないと断言したい。任命したのが今年の8月、疑惑の第一報が届いたのは10月だ。この件を日本はおろかスペインでも知る人は少なかったはずだ。
問題となった試合は2011年5月のもの。そこから3年以上をかけて当局が丹念に証拠を積み上げ、ようやく明るみに出た。そのような事件を“知らなかったでは済されない”としてしまうのは、あまりに強引ではないだろうか。
だからと言ってアギーレ監督が“シロ”だと言う気は毛頭ない。まだ告発されただけの段階ではあるが、グレーであることに変わりはない。当時アギーレ監督が率いていたサラゴサは勝利が絶対条件のため“負けてやる”という八百長を行う必要はないが、両チームが結託して勝敗を決めていた可能性もなくはない(賭博が絡む場合、勝利しやすいと思われているチームを勝たせるのが最近の八百長のトレンドだ)。
さらに、監督の口座に振り込みがあったという不透明な金の流れも指摘されており、その使用用途を知っていた場合にはクロ、知らなくとも場合によっては“八百長関係者”となってしまうだろう。
それはさておき、協会に問うべきは取り返せない過去ではなく、今だ。協会はこの事件にどのように向かい合ったのか。それこそがまさに論点となる。