歴史的にスクデットと事件が関連付けられるローマ
まず、ローマの決勝点に繋がるプレーで明らかなシミュレーションを犯したリャイッチに対してはカードが出されず。さらにジェノアMFステファノ・ストゥラーロが抜け出してモルガン・デ・サンクティスと1対1になろうとした場面では、存在しないオフサイドの旗を上げられてしまった。
そして、気性の荒いジェノア会長エンリコ・プレツィオージによって「爆弾が落とされた」のは試合終了後のことだった。ここ最近の出来事に言及し、彼は記者に向けて次のように述べた。
「ローマでは色々とおかしなことが起こっている。サッカーが絡んでいないことを願いたいが…」
プレツィオージ(彼自身も、2005年のジェノア対ヴェネツィア戦での買収容疑など、過去に少なくとも5度は法的責任を問われている)は具体名を挙げはしなかったが、彼がマフィア・カピターレの件を言っているのは明確であり、犯罪組織が何らかの形(審判を通して?)でジェノアとローマの試合の結果に影響を及ぼした可能性があると言いたげだった。
ローマがこの手の疑いをかけられることは初めてではない。これまでイタリアで3度のリーグ優勝を成し遂げており、(少なくとも1982-83シーズンと2000-01シーズンに関しては)それにふさわしい戦いをしてきたことに疑いはないが、イタリアの政治と宗教の中心に位置するというローマの性格上、ライバルたちはローマのスクデットと同時期に起きた事件を関連付けてローマサポーターを嘲笑することを好んでいる。
1942年のタイトル獲得は、ムッソリーニのファシスト政府の黄金時代の真っ只中のことだった。ローマのライバルである他クラブの主力選手たちが戦争へ送られ、弱体化を強いられたなどと言われている。
1983年のスクデットは、ローマの熱烈なサポーターであるキリスト教民主党の政治家ジュリオ・アンドレオッティの力がピークに達した時期に重なったため、彼の影響があったことが囁かれている。