ツォルクSDも選手時代に残留争いを経験
4日付のビルト紙はクロップの次のコメントを掲載している。
「長いサッカー人生の中で、私はいつも残留争いにハマり込んでいた。私はそれがどのように動くか知っている。私はその状況を打ち破るにあたって、チームがどうのように見えなければならないかを知っている」
クロップは、選手時代を含むマインツでの18年について語った。
そしてBVBの中核にはまた、どん底を知る者がいる。
欧州チャンピオンズリーグ第3戦、アウェイでのガラタサライ戦の前日、危機がまだ危機として本当の姿を見せていなかった頃――10月21日付のビルト紙によれば、ドルトムントのスポーツ・ディレクターであるミヒャエル・ツォルク氏は自らの経験から、沈みつつあるチームの状況を知っている、とのことだった。
27年前、1987年のことである。
ビルト紙:「1987年、プロ選手として彼(ツォルク氏)は、同じ時期に当時の監督ラインハルト・ザフティヒの指揮の下、たったの勝ち点6だった―現在のBVB(第8節を終えた時点での勝ち点は7)よりも少ないものである。当時最終的にドルトムントは13位に落ち着いた」
27年前のドルトムントは生き残った。ときおりミックスゾーンで見かけるツォルクSDは、どこか達観したような佇まいをしている。それは、その頃の経験も関係しているのだろう。
そして27年後のドルトムント。クロップと、ツォルクSD――2人はあがいてもがいての、生き地獄を知っている。その経験が、今のBVBを救うのかもしれない。救えないのかもしれない。
シュポルトビルト紙の特集は、フランクフルト戦の後でドイツメディアの中に度々散見された、ツォルクSDの次のようなコメントを再び掲載する。
「我々は残留争い(Absteigkampf)のど真ん中に辿り着いた。先週、我々は常になお、目でもって上位を眺めていた。それに関しては今、終えなければならない」
BVBの「Absteigkampf(アップシュタイグカンプフ)」は始まっている。
【了】
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