“背番号1”のフィールドプレーヤー
――指導者の方は?
「四日市北少年団の西口(幸晴)監督が指揮を執っていて、山下(智徳)コーチが下にいました。西口さんは見守る感じで、山下さんがメインでしたね。
山下さんはお兄さん的な存在で、すごいサッカーがうまくて、よく一緒にボールを蹴りました。GK練習もつきあってくれましたね。走りもありましたけど、まあ当たり前かな。むしろ僕らが伸び伸びやれるような環境を作ってくれました。
当時の僕は積極的に声を出せるタイプじゃなかったんですけど、少し出したときに『今のいいよ』とほめてもらえた。西口さんも山下コーチもそうだった。そういう声かけも自分を後押ししてくれましたね」
――宇佐FCは強かったんですか?
「いや全然(苦笑)。最初はひどかった。1年生の日本クラブユース選手権(U-15)の大分県予選では大分トリニータU-15やカティオーラFCに7~8点取られて負けましたからね。
ただ、逆に楽しくなってきたというか、燃えてきた。『最後には彼らを倒すんだ』って雑草魂が湧き上がってきました」
――そこからどう差を縮めようとした?
「みんなサッカーが好きで、休みの日もサッカーしようって感じだったんです。みんなで話しながら『こうしよう』と方向性を考えるというか。
僕はGKだったし、来たボールを全部止めるくらいの意気込みでした。今だったらDFに『こっちのコースを切ってくれたら俺がこっちを守るよ』とか戦術的な部分がありますけど、当時は大雑把なことしかやってなかったと思います。
ただ、みんなが『トリニータやカティオーラを倒すんだ』って同じ方向を向いてやっていたのは確かです」
――西川君自身は特別な練習をしましたか?
「山下さんにつきあってもらってシュートを受ける練習はしていました。でも僕はGKだけじゃなくて、フィールドプレーヤーもやっていたんですよ。
1番のフィールド用のユニフォームを作ってもらって、中2のときなんかは前半GKをやって後半からMFに入ったりと。
結構点も取りました。裏に抜け出して左足でドーンっていうのを得意としていました(笑)。オカちゃん(岡崎慎司=マインツ)みたいですね」