(2)「マリオ・バルウアーとは何者か?」
事実上マフィアの支配下にあるシチリアの町パレルモの貧困地区で、マリオはガーナ移民であるバルウアー夫妻の子として生まれた。幼児期には腸の異常があると診断され、その結果として緊急手術を受けて約1年間の入院生活を送ることを余儀なくされた。
マリオがまだ2歳の時、家族は北イタリアへ移り住む。父親のトーマスは鋳物工場で働いたり、古タイヤをイタリアからガーナへ売ったりしながら日銭を稼いでいた。だが苦労を重ねても生活は成り立たず、マリオの生みの両親は彼をイタリア人家族であるバロテッリ一家に委ねることを決断した。
学校でのマリオは、自身の「違い」によって大きな苦難を強いられることになった。小学校の恩師ティツィアーナ・ガッティは、マリオが何度もピンクのマジックを使って「肌の色を変えようとしていた」こと、アフリカに送り返されるのではないかと怯えながら過ごしていたことを振り返っている。
マリオを「救う」ことになったのはカルチョだった。5歳からプレーを始めた彼は、生まれ持った体の強さと技術のおかげで当時から他の子供たちを圧倒することができた。友人たちは誰も彼を止めることができず、愛犬であるシェパードのマックスと一緒に中庭で一人で練習していることも多かったという。
プロサッカーの世界にデビューしたのは15歳の時。所属していたセリエC1のルメッツァーネで、パドヴァとのアウェーゲームだった。
ブーイングを浴び、早くも人種差別的な野次の対象となりながらも、好プレーを披露したマリオはすぐにビッグクラブからの関心を集める。フィオレンティーナやマンチェスター・ユナイテッド、バルセロナといったクラブだ。
マリオは「ラ・マシア」を訪れ、見事にトライアルに合格したものの、国籍の問題(正式にイタリア人として欧州国籍を得るのは2008年になってから)のため、カタルーニャへ移ることはできなかった。
最終的に現れたのはインテルであり、そこからのサッカー選手としてのバロテッリの話は誰もが十分によく知っているものだ。