40歳を迎えたデル・ピエロ【写真:Getty Images】
元イタリア代表のFWアレッサンドロ・デル・ピエロ。ユベントスのエースとして長くセリエAの舞台で活躍したレジェンドは、今日11月9日に40歳を迎えた。
そのデル・ピエロは、誕生日を翌日に控えた現地8日にイタリア紙『ガゼッタ・デッロ・スポルト』のインタビューに答えた。質問は年齢に合わせ全部で40問が用意されていた。
19シーズンプレーしたユベントスを離れ、2012年にオーストラリアのシドニーFC、そして今季は新設されたインド・リーグのデリー・ディナモスと、イタリアから遠く離れた地でのプレーを受け入れたデル・ピエロ。
「僕は“フットボールの選手”であることと、“ユベントスの選手”であることを分けて考えていることに気づいた」と話し、一人の選手として新たな環境でプレーする環境を選んだと明かした。
“もう一度体験したい時はいつ?”という質問では、「2006年」と答えている。
2006年といえばイタリア代表がW杯を制した年。デル・ピエロもメンバーの一員として優勝を経験。“キャリア最高の試合”と評した準決勝のドイツ戦では、カウンターアタックからドイツの息の根を止める華麗なシュートを決めている。
しかし、06年は決していいことばかりではなかった。“カルチョ・スキャンダル”の影響で、ユベントスはセリエBへ降格。20ゴールで得点王を獲得するなどチームを牽引し、チームは1年でセリエAに帰り咲いたが、本来であれば降格はネガティブな出来事だ。
しかし、彼はこうした経験も自身の成長の一因と前向きに捉えている。降格が決まっても、デル・ピエロは真っ先に残留の意思を表明していた。
また、国内3連覇中の古巣ユベントスの現在にも話は及んでいる。ヨーロッパでの成功について聞かれると、「予測は難しい」と話した。
「僕のユベントス1年目、93-94シーズンにはUEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)でカリアリに敗れ、ブーイングを受けた。しかし翌年には同じ大会で決勝まで辿り着き、さらに1年後にはチャンピオンズリーグ(CL)を制した」と、自身の経験を語るデル・ピエロ。
「2年前にアトレティコ・マドリーがCL決勝に進出すると言っていた人はいたかい?」
近年のヨーロッパサッカーの勢力図の著しい変化を例に挙げ、自らの経験からも不可能はないことを強調した。
自身のキャリアが終わりに近づいていることは理解しているという元イタリア代表FW。40歳になっても衰えないその技術はあとどれだけ目にすることができるのだろう。挑戦中のインドでの活躍をさらに期待したい。
【了】
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