ピッチに表れなかったチーム間での共有
「(A代表は)新しい監督が来て今は試行錯誤しているところだと思う」と語る鈴木監督はポゼッションからパスワークで崩すスタイルを継続する中で、個をプラスアルファすることにフォーカスしてきた。関根貴大のドリブル突破、川辺駿のスルーパス、井手口陽介のミドルシュートなどだ。
そのラストピースとして南野の決定力を前線に組み込んだが、攻撃が詰まった時にどう展開していくか、特定のエリアでのマークをどう引きはがしていくか、といった流れの中での意図のある動きのバリエーションが少なかった。
確かに北朝鮮戦でもパスがうまくつながればシュートチャンスになったが、ペナルティエリア内まで入り込む場面が少なく、リードされてからは守備をさらに締められた状態でバックラインの押し上げも足りなかった。
思い切ったミドルシュートで相手のディフェンスを引き出そうとするなど、日本の選手たちも全く駆け引きの意識が無かったわけではないが、やはり自分たちの形にこだわりすぎ、それが詰まった状態から抜け出すことができなかった。
ミャンマーや北朝鮮はどういう理由であれ、国を背負って戦う意識が明確で、日本より鬼気迫るものがあったかもしれない。しかし、日本の選手たちに戦う姿勢が無かったとは思わない。
もっと問題なのは、目まぐるしく変化する状況の中で、勝利のために何をすべきで、どうすれば得点できるかを明確にイメージし、選手たちの中で共有できていないことではないのか。
基本スタイルをベースにするにしても、今大会でどれだけ相手を意識し、どう上回っていくのかという部分で研ぎ澄まされたものが無かった。ラストパスやシュートの精度もその1つではあるが、チームで相手を崩そうとする時に、ボールの出し手と受け手のラインで完結してしまっていた。
勝ちたいのは当たり前。しかし、勝利のために自分は何ができ、仲間は何ができるのか。相手がどう阻もうとしているのか。そうした個性も織り交ぜたチーム間での共有がピッチに表れなかった。