「オシムを殺すな」のせめぎ合い
――森さんの編集長としてのデビューは33号でした。サブタイトルが「オシムを殺すな」。今から考えると、ずい分と刺激的ですね。というか、真井さんはよくぞOKしたと思いますよ。
森「最初は反対されましたね。今、このタイミングでこのようなサブタイトルを付けるのはどうかという。真井さんご自身、それまで批評に携わってこられてきた方なので、いろんな蓄積があったわけですけれど、自分としては『これで勝負したいんです!』というやりとりがあって、最終的には認めてもらえました」
――その間、真井さんとはさまざまなディスカッションがあったと思いますが。
「そうですね。僕も20代だったので『こんなのをやりたい!』というのをストレートにぶつけては却下され、というやりとりの連続でしたね。その時のやりとりは、すごく勉強になりました。
幸い、あの号で売れ行きがそこそこ持ち直したので『サッカー批評』はその後も存続することになりました。双葉社さんとしても、大事な媒体なので続けていきたいという想いはあったみたいですけど、とにかく結果を出せてよかったです」
――あの当時、どこまで本当だったかわからないけれど「協会批判や川淵批判をするメディアは出禁になる」って、まことしやかに語られていたじゃないですか。実際、取材する側にも妙なストレスがあったことを思い出します。そんな中、『サッカー批評』はおかしいことはおかしいと、きちんと主張できるメディアでした。もっとも、当時も森さんも経験がない分、怖いもの知らずであったことが結果として良かったのかもしれませんが(笑)。
「かもしれないですね。今の自分だったら、もう少し違った判断をしていたかもしれません。でも、それから8年編集長をやっていますが、方針としては変わっていない部分のほうが多いと思います。
もちろん協会には協会の、JリーグにはJリーグの、クラブにはクラブの事情はあります。それに対して、何でも書けばいいというわけではなくて、それより大事なのは『サッカーのためになっているのか』ということだと思うんですよね」