セレッソを救ったセードルフの電撃引退
パブロとダニエルの来日は1月11日に決まった。木村は前夜に千葉県内の自宅を出発し、関西国際空港へ向けて愛車アテンザを約700キロも西へ走らせた。
「彼らが重たい荷物を持ってくるというのもあるし、視察したいと望むところへ連れて行くには、自分の車のほうがいいかなと。最初のアテンドでしたので」
到着ロビーで2人を拾い宿泊するホテルに向かい、初めて岡野と顔を合わせた。そして、視察や話し合いが順調に進んでいった中で、2人が帰国した翌日のスポーツニッポンに、この交渉についてのスクープ記事が掲載される。最悪の場合は破談になる覚悟を固め、国際電話を入れた木村だったが、結果は実に拍子抜けしたものだった。
「W杯前にディエゴがはるばる日本のチームに行くはずがないと、ブラジル国内で受け止められていたんですよ。聞けばボタフォゴからも話がきていて、移籍決定が秒読み段階に入ったと誰もが信じていると」
鹿島アントラーズで史上初のリーグ3連覇を達成したオズワルド・オリヴェイラ監督に率いられるボタフォゴは、ミランの監督に就任するために電撃引退した元オランダ代表のクラレンス・セードルフに代わる看板選手を探していた。フォルランサイドにも正式オファーが届いていたが、年俸を全額払い切れないがゆえに、ボタフォゴとインテルナシオナルが按分して負担する内容だった。
「提示された年俸そのものも低かったそうです。もっとも、ブラジル国内の目はボタフォゴへ向けられていたので、岡野さんや僕としては本当に助かりましたよね」