プランに合わなかったハーフナー。悩んだボランチ
同じくウルグアイ戦で外れたハーフナー・マイクは10月の東欧遠征のメンバーには入ったものの、その後は招集されないまま最終メンバーからも漏れる結果となった。ハーフナーは27歳と理想的な年齢であり、当時所属のフィテッセでも決して調子を落としていたわけではない。
しかし、W杯で指揮官が目指すスピードを活かした攻撃スタイルを発揮しようと考えたときに、プランと合わなかったということだろう。
ハーフナーの場合、気の毒だったのはベラルーシ戦の終盤に投入されたとき、ザッケローニ監督の明確な指示がないまま、選手たちが彼の高さをうまく使わなかったことだ。試合後、森重真人は「ハーフナーを入れてからも、彼の高さを使っていくのかはっきりしないままだった」と語っている。
もちろん高さだけが彼の武器ではないのだが、柿谷や大迫と比較した場合に強みとなるのがそこであることは間違いない。結果論にはなってしまうが、ギリシャ戦の終盤で吉田麻也を前線に上げる形を取るのであれば、やはり一枚、彼のようなハイクロスに合わせられる選手が必要だった、とも言える。
その前線に増してザッケローニ監督が最後まで頭を悩ませたのがボランチだった。左右のウィングに関しては最終的にオプションとして、ドリブラーの齋藤学を加えるか、工藤壮人の様なストライカーを入れるのかが悩みどころになったはずだが、そこもボランチの枚数とのジレンマとセットになっていたのだ。
「悩みどころとしては、ポジションのところだ。ボランチを一枚多く連れて行こうかということも頭のなかにある。ただ、それをするとFWを一枚削るか、もしくはディフェンスラインを一枚削るしかない。リストを見ても分かるように、最終的にはたくさんの攻撃的な選手を選ぼうと決断をした」
ボランチは最終メンバーに選ばれた4人の他に、細貝萌、中村憲剛、高橋秀人、柴崎岳などが有力候補にあげられていた。そのなかでザッケローニ監督が最後まで頭を悩ませたのは中村憲剛と細貝萌だろう。
4年間の大部分でチームを支えた功労者であるばかりではなく、本大会で重要な役割を担う可能性が高かったからだ。