「(前田は)もう少しそっとしておいてあげようかなと思った」
ザッケローニ監督が率いた4年間で、公式戦と親善試合で82人、さらに国内合宿を含めると100人を超える選手が招集されてきた。最終予選の時期にはメンバーがほぼ固定的だったことが批判の対象にもなったが「代表の扉は常に開かれている」と何度も語ってきたザッケローニ監督の言葉に偽りはなかったことを示している。それでも最後は23人に絞り込まなければならなかった。
「23人しか呼べないということが大前提にあって、この4年間、代表チームに貢献してくれたメンバーがこのリストに入らないところも非常に苦しい思いをした」
ザッケローニ監督がW杯メンバー発表の記者会見で語ったように、振り返れば4年間で継続的に招集され、多くの試合に出場しながら最終的に外れた選手もいる。FWの前田遼一は最終予選、さらにコンフェデまで攻撃の主力を担ったが、昨年8月のウルグアイ戦で外れると、そのまま呼ばれなくなった。
「(前田は)コンディションが上がっていなかった時期もあったが、数日前に見たときは徐々に上がってきている印象を受けた。もう少しそっとしておいてあげようかなと思った」と当時のザッケローニ監督は気遣った。
実際、前田はJリーグでのパフォーマンスを徐々に上げていた。最終的に所属の磐田はJ2に降格してしまったが、伊野波雅彦や駒野友一がその後も招集の対象になったことを考えれば、それが全てでないことは明らかだ。
世界と戦うことを想定した上で、東アジアカップで結果を出した柿谷曜一朗や大迫勇也、また最終的に外れた豊田陽平などを積極的にテストしていくことに切り替わっていたのかもしれない。