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Jリーグ 10年前

アギーレ新監督に期待するトルシエ時代の再燃。今の日本サッカーに必要なのは“バトル”ではないか?

text by 大島和人 photo by Getty Images

メキシコと日本は、まるで似ていない

 ハビエル・アギーレ監督の初会見は概ね平穏だった。しかし就任会見というのは必ず友好的な雰囲気で行われ、指揮官も4年間で最も紳士的に振る舞う場だ。戦後の政治史を見れば歴代総理大臣のほぼ全員が、就任直後に最高の支持率を得ている。代表監督も恐らくそれに近い。

 あの会見からアギーレ氏の“威厳”は確かに伝わってきた。相手におもねらない、悪く言うと空気を読まない返答も“らしさ”を見せていたと思う。例えば「(ドイツやブラジルなど)4、5カ国との違いは、世界レベルのタイトルを取ったことがあるかどうかだけ」「長距離移動は障害にはならない」といった答えは、質問者を突き放した言い方である。

 実際にチームが立ち上がれば、質問はより具体的、批判的なモノに変容していく。アギーレ氏はどちらかといえば強面タイプ。柔和な笑顔と美辞麗句で“感じよく相手を言いくるめる手腕“は期待できないタイプとお見受けする。しかし日本のマスメディアやサポーターは“開き直り“的な言い方を特に嫌う。摩擦は必ず起こるだろう。だが、そこからが日本代表、そして我々にとっての本番だ。

 私はアギーレ監督のサッカーに対してどんな批判が出てくるか、ワクワクしている。彼からの発信が「将来性のある選手を呼びたい」「攻守両方をこなせる選手が必要」という抽象論にとどまっている段階なら、強い批判は出てこない。しかし誰が入り、誰が落ちるという具体性を帯びた議論になれば、必ず“評価されない側”から反発が出てくる。

 サッカーのスタイルについても、必ず異論は出る。アギーレ氏は「メキシコのプレースタイルに似ている」と日本サッカーを評するが、私はまるでそうは思わない。似ているのは平均身長の低さくらいではないだろうか。

 メキシコの年代別代表は何度も目にしているが、その“図形感覚”の違いにいつも驚かされる。彼らは前後左右がずれた、ジグザグな位置取りをすることが多く、いかにも整っていない。しかしよく見ると受け渡しがスムーズで、それが身についている。私から見るとカオスな状態でも、実は彼らにとって整った形になのだろう。

「なぜこのFWはこんなキープが上手いのか」と観察してみると、要は単純にDFから届かないところにボールを置いている。身体の外にボールを置いたり、中に戻したりという単純作業だが、彼らはそういう駆け引きを小さいころから繰り返してきているのだろう。そういう“基本”として身についているベースも日本と違うと思った。

 クラブW杯でも、私はメキシコのチームを好んで見てきた。メキシコ勢には“未知との遭遇”を期待できるからだ。06年のクラブアメリカ、07年のパチューカは今もよく覚えている。その真髄は横パス、ショートパスが多い徹底したポゼションサッカー。シュートを打てるような場面でもつなぎ、消極的にも見えるスタイルだった。それが成り立つ背景にはボールを安易に失わない技巧があるし、ここという場面でスイッチを入れる緩急もある。一方で、これはせっかちな現代日本人が好まぬスタイルかもしれない。

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