「辞めようにも辞められない気持ち」
――日本でプレーしていた時を振り返ってみて如何ですか?
「ベガルタ仙台はジュニアユースの時から長い間面倒見てもらって本当にお世話になったクラブです。在籍中もレンタルでソニー仙台に行かせてもらったりと、自分もどうにかベガルタに恩返ししたい気持ちがあったんですけど、結局それも出来ずに情けない形で退団してしまいました。
その後プレーしたソニー仙台では何とか結果を出せて、2013年シーズンの途中からJ2のモンテディオ山形に移籍することが出来たんですけど、入団から半年後、ようやく手応えを感じ始めた時期にまた解雇になってしまって。自分の中でもサッカーに対する気持ちが盛り上がってきた時だったので辞めようにも辞められない気持ちでした」
――その後タイに来られましたが、きっかけは?
「ソニー仙台に所属していた2013年4月から、セカンドキャリアを見据えて柔道整復師の資格を取るために南仙台にある健生学園という専門学校に通っていました。学校に行こうと思ったのは、自分は怪我が多くて苦しんだので、将来は治す側になりたいと考えていました。
あとサッカー選手って時間が結構ある職業なので、その時間を有効に使えないかと。チームからも了承を得て、また学校の理事長先生(中尾充氏)も僕が通いやすいようにいろいろ調整してくれました。当時は本格的な内容の講義を受けていましたよ。
医者の一歩手前くらいの専門的な内容です。体の仕組みから、骨、血液、神経について勉強しました。理事長の中尾さんは僕のことをすごく応援してくれてて、その年の夏に山形に移籍になった時も休学扱いにしてくれて『山形でも頑張れ』と送り出してくれました。
そしてそのシーズンの終わりにニュースで僕が山形をアウトになったことを知って、『もし次のチームが決まってないならタイには興味はないか?』とタイ行きの話を持ちかけてくれました。中尾さんがタイでエージェントをしている真野さん(真野浩一氏の記事はこちらhttp://aseanfootball.biz/Detail.php?id=26)と知り合いだったので紹介してくれました」