ようやく大きく揺れ動いたザックジャパンに対する評価
2013年は代表に対する評価が大きく揺れ動いた1年だった。コンフェデ後のウルグアイ戦でも簡単に失点を重ね、コンフェデで課題として浮上した守備に対する不安が一層浮き彫りになった。
そしてザックジャパン史上、もっとも停滞感に襲われることになったのが10月の東欧遠征だ。コンフェデ以降、世界でも通用するサッカーを模索していた選手たちは、セルビア戦、ベラルーシ戦ではひたすらショートパスをつないで中央突破を図る。
しかし、バルサのようになるには技術と精度、判断力があまりに足りず、カウンターの餌食になるだけだった。当時、本田は「新たなトライをしているところでそれがうまくいっていないが、悲観はしていない。アジア杯で優勝したようなサッカーをW杯でするつもりはない」と話したが、このときのチャレンジが最終的にW杯につながることはなく、むしろアジア杯を制した形を整備し直してブラジルに乗り込むことになったのは皮肉と言えよう。
チームとして不安定な時期が続いたザックジャパンだったが、一転して光明が見え始めたのが東欧遠征から1ヶ月後に行われた欧州遠征だった。オランダ、ベルギーと強豪と連戦で大迫、山口、森重、西川といったこれまであまり出場機会に恵まれなかった選手をスタメンに抜擢すると、それぞれが特徴を発揮。
ようやく競争らしい競争が生まれる予感が漂い、チームとしてもオランダ、ベルギーに対して手応えのあるパフォーマンスを出せたことで選手たちの表情も明るかった。
そして迎えたW杯イヤー。来るべき本番に向けて実戦で調整を図る機会は限られていたが、準備はザッケローニ監督のプラン通りに進み、親善試合を消化していくごとに収穫と課題を手にして、それを糧にしていった。
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