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日本代表 10年前

ザックジャパンとは何だったのか? 指揮官の過失と問われる4年間の積み重ね

text by 神谷正明 photo by Getty Images

メンバー固定化の弊害

 ボランチも遠藤保仁と長谷部誠がファーストチョイスとして長らく君臨。山口蛍の台頭で序列こそ下がったが、それでも両者ともW杯のメンバーに選ばれている。長谷部はコン
ディションに不安を抱えながらもW杯全3試合にスタメン出場し、遠藤はベンチスタートとなったものの、2試合でピッチに立った。

 2011年のアジア杯でレギュラーとして戦いながら、2014ブラジルW杯に出られなかった選手は、前田遼一ただ一人。その前田にしても、2013年のコンフェデまでは継続して起用されていた。

 選手の連携度を高めて成熟をはかったと言えば聞こえはいいが、チーム発足から約3年間は、控え組に少し変化こそあったものの、レギュラーが固定化されたことで競争意識は失われていった。

 それでもW杯アジア予選では、アジアレベルでは突出した戦力を有していることもあり、基本的に大きな問題が生じることはなかった。2013年8月に行われたオーストラリア戦で引き分け、世界最速のW杯出場が決定した。

 ザックジャパンの選手たちが初めて自信を木っ端微塵に打ち砕かれたのが、プレW杯として行われたコンフェデだった。指揮官は「今のメンバーはよくやっているので(メンバ
ー変更などの)必要はない」と自信を持って送り出し、選手たちも自分たちが積み上げてきたサッカーが強豪相手にどこまで通用するかと期待に胸をふくらませて挑む。

 しかし、初戦でいきなりブラジルにその鼻っ柱を折られた。

 ブラジルには1年前にも親善試合で0対4という大敗を喫していた。ただ、そのときはブラジルが相手に持たせてカウンターという効率的な戦い方をしていたが、実際の試合展開は日本が押し込んでいたという事実があった。選手たちから激しい落胆は感じられず、むしろ課題が出たとポジティブに受け止められていた。

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