いきなり結果を残した順風満帆すぎる船出
ザックジャパンの船出は順風満帆だった。2010年8月、日本サッカー史上初のイタリア人指揮官として代表の指揮を任されたザッケローニ監督は、その約2ヶ月後に行われたアルゼンチン戦で初采配を振るうと、岡崎慎司のゴールで1対0の勝利で初陣を飾る。
日本は過去にアルゼンチンと6度対決して一度も勝ったことがなかったため、単なる親善試合とは言え、南米の強豪国から白星を挙げること自体が歴史的快挙だった。
しかし、喜んでいられたのも束の間。ザックジャパンは年明け早々、ほとんどトレーニングもできないままにアジア杯を迎える。初戦でヨルダンと1対1の引き分けに終わった後、指揮官は選手たちがロッカールームでおどけている姿を見て雷を落とした。
それをきっかけに選手だけのミーティングが開かれると、チームは一致団結。韓国、オーストラリアといったアジアのライバルとの激戦を制して王者に輝いたのだった。短期間にチームをまとめ上げ、日本を2004年以来のアジア王者に導いた指揮官の手腕は高く評価された。
しかしこのときの成功体験がメンバー固定の弊害を抱える下地となり、のちに批判を浴びることになってくる。
指揮官はアジア杯で結果を出した選手を重用するようになった。カタールの地でレギュラーとして起用された川島永嗣、長友佑都、吉田麻也、今野泰幸、内田篤人という守備陣のユニットは、そのまま4年後のW杯まで継続して用いられている。
センターバックのポジションには森重真人が割って入ったが、それでもW杯では1試合の出場に留まった。
ザックジャパンの顔でもあった中盤の攻撃陣も、アジア杯で顔ぶれが固まってしまった。香川真司と本田圭佑はチーム発足当初から解散時までポジションを含めてずっと固定で使われ、岡崎慎司もアジア杯で松井大輔と入れ替わってから、最後まで右サイドの一番手だった。