痛感した「外国人」の厳しさ
日本海に浮かぶ島根県の小島、隠岐の島出身の平野。島内にはサッカーをする環境が全くなかったため中学からは親元を離れ、「プロになることが親への恩返し」と努力を続けた結果、大卒でJ2・カターレ富山への加入を果たした。
富山では2年目、3年目と、途中出場がメインながらともに20試合以上の出場機会を得ており、数字だけ見ればそれなりに順調な状況とも取れた。だが、本人のなかには現状を打破したいという強い思いが生まれ、それがタイ行きを決断させた。
「最初、知人から『東南アジアに興味はないか』という話をもらった時は、『富山のことも好きだし、考えづらい』と断ったんです。でも、そのまま10月くらいになった時、2年目よりも満足の行く結果が出ていなかった。それで、環境を変えたほうがいいのかなと」
改めて聞けば、そのクラブはタイのチャンピオンチームであるブリーラム・ユナイテッド。ACL出場のチャンスがあるのも魅力に感じた。だが、思い切って飛び込んだタイではスタートから予想外のことばかりだった。
「まず、オファーが届いていると聞いていたんですが、実際にはトライアルを受けなければいけなかった。ACLについても本戦から出場できるものだと思っていたんですが、実際にはプレーオフから。確認しなかった自分が悪いんですが、はっきり言えば騙されていました」
それでも、平野は見事トライアルに合格して契約を掴み取る。だが、本当の地獄はそこからだった。そこで「外国人」として戦う過酷さは想像を絶していた。
「本当にタイでは、一日一日無駄にした日がないですね。ちょっとしたことで評価が下がることだってありますから、アップでも気を抜けない。タイに来て感じたのは、これが『外国人』なんだ、ということです」
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