選手の国際化と国歌
というわけで、第二次世界大戦後、西ドイツが国家として成立する際、3番のみを採用することが決まった。その理由は「1番は外国を刺激する。2番は内容がない」ということだったそうだ。
もっとも、西ドイツが『ドイツの歌』を国歌とするまでに、数年を要している。ナチスドイツの惨禍が冷めやらぬ時代、国歌を引き継ぐのに抵抗感があったようだ。新しい国歌を作ったり、当時の流行歌を用いたり、ベートーベンの第九を代用したこともあった。そうした試行錯誤の末、1952年に『ドイツの歌』は西ドイツの国歌に決まった。
その後1991年に、東西ドイツは統合を果たす。そして、『ドイツの歌』は正式に統合ドイツの国歌となり、現在に至っている。
冒頭に述べたように、近年ドイツ代表も国際化が進み、ドイツ以外に出自を持つ選手が増えてきた。エジルはトルコ系、ケディラはチュニジア系、ボアテンクはガーナ系、クローゼはポーランド系といった具合だ。近年のドイツ代表の躍進を支えているのが、こういった選手であるのは間違いない。
世界中で国際化が進む中、国家斉唱を巡る議論は、今後も出てくるだろう。歌う選手、歌わない選手、そもそも国歌を知らない選手、知っていても歌わない選手、練習して歌えるようになる選手等々。一人ひとりの抱える背景によって、斉唱の姿も微妙に異なるのだろう。
「団結と正義と自由」が、国家斉唱の中でいかに実現されるのか、興味を持って見守りたい。
『フットボールde国歌大合唱!』(東邦出版)より一部抜粋
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