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日の丸をつけるということ――。W杯に出られなかった時代の証言

text by 海江田哲朗 photo by Tetsuro Kaieda

プロ発足が早かった韓国。レベルの差を痛感

日の丸をつけるということ――。W杯に出られなかった時代の証言
都並敏史氏【写真:Tetsuro Kaieda】

 都並は生粋の日の丸小僧だった。サッカーを始める前から日の丸に対する憧れがあり、文房具や自転車など身の回りの品々にマジックで日の丸を描き、アメ横にワッペンを買いに行ってはそこかしこに縫い付けていた。そんな少年が、やがて日本代表に思い焦がれるのはごく自然な成り行きだった。

 18歳の冬、憧れのユニフォームに初めて袖を通した。ユース地域選抜研修会に参加し、青地に白ラインの入ったシャツを貸与された。もちろん左胸には日の丸。どうにかしてこのまま持って帰る方法はないかと真剣に考えたほどだ。

 その時の模様は『サッカーマガジン』(ベースボール・マガジン社)で特集され、〈技術のしっかりとしたサイドバックで、安定性でもこの研修会でピカ一の逸材だった〉と写真入りで紹介されている。都並は有頂天となり、書店にあったその号の在庫を残らず買い占めた。

 19歳で日本代表に選出され、W杯スペイン大会のアジア予選に出場。デビュー2試合目のマカオ戦で退場処分を受けた。

「俺が国を守るんだという気持ちが強く出すぎて、相手と取っ組み合い。格闘技になっちゃってね(笑)」

 都並の繰り出すオーバーラップは日本の武器になった。そして、W杯メキシコ大会のアジア予選であの韓国戦を経験する。

「すでにプロリーグがあった韓国との差を痛感しましたね。フィジカル面をはじめ、戦術や駆け引きなど、あらゆる面で木端微塵に叩きのめされた。韓国は違うレベルに行ってしまったなと」

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