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日の丸をつけるということ――。W杯に出られなかった時代の証言

text by 海江田哲朗 photo by Tetsuro Kaieda

国立が満員になった時は涙が出るほどうれしかった

「わしらの頃は上が見えんかった。弱かったもん。わざわざヨーロッパまで遠征に行っても代表とやらしてもらえん。クラブチームと対戦して、それでも勝てんかった。W杯なんて本当に雲の上。(ライバルの)韓国に勝ちたい。それだけよ」

 と語るのは、今季から横浜F・マリノスの監督に就任した木村和司だ。80年代から90年代初期の日本サッカーを彩ったスタープレーヤーの1人で、特に韓国戦で見せた40メートルのFKは伝説である。

 82年のW杯スペイン大会は、欧州遠征を兼ねて現地で観戦した。本当にこんな舞台でサッカーができるのだろうか。現実感はまるで湧かなかったという。

「いまの選手はいいなと思うよ。思い切り自分のサッカーを懸けて、もっと楽しんでやれよと思う。難しいけどね、楽しむというのは。メンバーに選ばれるのは限られた選手だけ。自分の持っているものを出し切らなくてどうするの。誇りや名誉を胸に秘め、全国の子どもたちに影響を与えることも頭に入れてやってもらいたい」

 75年、ユース代表に選出され、79年、明大2年時に日本代表入りを果たした。以降、攻撃の中心として国際Aマッチ54試合26得点の実績を残した。

「ユース代表に選ばれてから、もっと上を目指したいと思うようになった。周りのレベルが上がって、サッカーがもっと面白くなって、それならA代表に選ばれればさらに楽しくやれるじゃろうと。そんなもんよ。たくさんの人に自分のプレーを見てほしい、知ってもらいたいという気持ちもあったね。だから、韓国戦で国立が満員になった時は、涙が出るほどうれしかった」

 W杯まであと一歩に迫った韓国戦を振り返って言う。

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