「自分たちのサッカー」に対戦相手の顔が見えず
1分2敗という結果に終わっても、日本がこのC組を勝ち上がる可能性が全く無かったとは思えない。もちろん、それは4年前の戦い方ではなく、この4年間でザッケローニ監督と選手たちが作り上げようとしてきた戦い方の路線にあってのことだ。
しかし、この3試合を観て残念だったのが「自分たちのサッカー」と言われるものに、対戦相手の顔があまりに見えてこなかったことだ。
「相手はリスペクトするが、恐れる必要はない」とザッケローニ監督は語っていた。そう、恐れる必要はない。ただし、研究して対策を練ることは「自分たちのサッカー」をやることと両輪のはずだ。
もちろんザッケローニ監督がコートジボワール、ギリシャ、コロンビアの試合をチェックし、選手たちに特徴を伝えていたことは認知している。しかし、どこまで相手を想定し、シミュレートしていたかは疑わしい。
5月下旬の鹿児島合宿からずっと非公開が続いていたのでトレーニングの詳細をここで解説することはできないが、コートジボワールのパス回しに翻弄される状況を見て、見込みの甘さというものを痛感した。
どういう相手であろうと自分たちが主導権を握れたらこれ以上言うことはないが、守備にしても攻撃にしても、全く同じやり方であらゆる相手をねじ伏せられるほどW杯は甘くない。
高い位置でボールを奪い、崩しの起点を作りたいのであれば、それを邪魔してこようとする、あるいは自分たちが高い位置を取ろうとする相手との駆け引きに勝たなければいけない。