日本中を駆け巡った「“自分たちのサッカー”を表現出来なかった」
もしかすると、他競技の選手たちが発する“名言”に憧れを抱いたのかも知れない。北嶋康介が発する言葉、イチローが発する言葉はたしかにカッコいい。しかし、それは同時に結果を残したから説得力が生まれるのだ。
結果を残す以前に大会すら始まっていない選手がこの言葉を使えば、その裏には「結果がどうあれ満足」という意味が付随してしまうだろう。そう言った意味では、ザックジャパンは戦う前から満足し、闘争心を持っていなかったということになる。
そして、そのような心理で臨んだ初戦の後には「“自分たちのサッカー”を表現出来なかった」というコメントが日本中を駆け巡った。
今回のチームは世界の厳しい予選を勝ち抜いた強豪ぞろいの大会に挑みながら、相手のことを全く見ずに自分たちのことのみを考えていたのだろうか。
実際に、コートジボワール戦後にもギリシャ戦後にも日本側から相手を讃える意見はあまり聞こえてこない。自分たちの長所を完璧に潰された相手、1人が退場しながら勝ち点1をもぎとられた相手に対してだ。
そればかりか、選手からは前述の「“自分たちのサッカー”が…」や、コートジボワール戦後にはあろうことか「スカウティングとは違っていた」という発言まで飛び出す始末だった。
ヤヤ・トゥーレやジェルビーニョ、サロモン・カルー、そしてディディエ・ドログバといった誰もが知っている選手たちを擁するチームが「スカウティングとは違う」というのは言い訳にもならない。
しかも、コートジボワールが2014年に入って対戦したベルギー、ボスニア・ヘルツェゴビナ、エルサルバドルは日本とは選手も戦い方も違うチームだ。ゲームプランに関してはスカウティングと違って当然と言えるだろう。
逆に、日本は“自分たちのサッカー”を貫くために、どのチームと対戦しても同じ戦い方で臨んでいる。相手を苦しめるためのゲームプランを持っておらず、対戦相手にとっては対策を練りやすい簡単な相手だったはずだ。