ドイツが行った2つの改革
1つ目はドイツサッカー協会における「育成改革」だ。
同協会は代表の弱体化に危機感を持ち、2000年夏に育成改革をスタートさせた。全国366ヶ所に育成センターを置き、有望な子供たちをサポート。旧東ドイツ時代のエリート教育のエッセンスを取り入れ、才能あるタレントをより高いレベルに吸い上げるシステムを整えた。
その結果、第一世代としてラームやシュバインシュタイガーが生まれ、第二世代としてケディラ、ノイアー、エジルが続いた。彼らは2009年のU-21欧州選手権で優勝した黄金世代だ。
そして第三世代としてゲッツェやロイスが台頭。今季のブンデスリーガではシャルケのマックス・マイヤー(18歳)やレバークーゼンのブラント(17歳)がブレイクし、生きのいい若手が次々と出てくる。
かつてドイツ人選手の武器は高さとパワーだったが、育成改革によってそこに技術が加わった。“下手だがパワフル”から“パワフルなうえに上手い”に変わったのだから、代表が強くならないわけがない。
2つ目は、レーブによる「戦術改革」だ。
ほぼ無名だったレーブがドイツ代表でチャンスを得たのは、2004年夏のことだ。クリンスマンが監督に就任し、アシスタントコーチに抜擢されたのである。2人はドイツサッカー協会の監督講習会の同期で、クリンスマンがレーブの戦術眼に惚れ込んだのだ。
クリンスマンはモチベーターとしてチームを鼓舞し、戦術や戦略の立案はレーブに任せた。アシスタントコーチという肩書きだが、戦術面に関しては監督に近い役割を果たしていた。そして2006年W杯後、正式に監督に昇格し、さらに改革を押し進めた。
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