画期的な進化を遂げた98年からの4年間
94年W杯は予選敗退だった。いわゆるドーハの悲劇、あと一歩届かなかった。4年後もアジアでの順位は3位で変わらなかったが、枠が増えたので出場できている。
ただ、4年間での進化はあった。中東勢に勝てるようになっていた。4年前の最終予選ではサウジアラビアとイラクにドロー、イランに負け、全く中東勢には勝てていなかったのが、プレーオフでイランに競り勝っている。
初陣となったフランス大会は3戦全敗。しかし、いずれも1点差で恥ずかしい内容ではなかった。ただ、あたかもベスト16を狙えるような報道がされていたのは勘違いである。当時の岡田武史監督が「1勝1分1敗」と話したのをきっかけに、その可能性を必死に探っていただけ。「可能性はゼロではない」というのが実情だったと思う。
中盤の質は悪くなく、中田英、名波、山口素弘のトリオはコンビネーションも良く、それなりにパスもつなげていた。大会前に5バックに変更したことで大量失点するような事態にもならなかった。つまり、守備と中盤はオーケー。個人でこじ開けられるようなアタッカーがいなかったのが最大の弱点だった。この点は16年後の現在も、ざっくりいえばそう変わっていない。
98年から02年までの4年間の進化は画期的だった。
フィリップ・トルシエ監督のチームは当初なかなか結果を出せなかったが、U-20はワールドユースで準優勝し、シドニー五輪もメキシコ以来のグループリーグ突破、若手が急激に伸びていた。トルシエは自ら率いた若手をフル代表に注入、アジアカップ初優勝とコンフェデ杯準優勝で軌道に乗せた。代名詞となった「フラット3」とともに、堅固な守備力のチームに仕上げている。
この4年間は、いかに世界標準に追いつくかの挑戦だった。90年前後から世界的に普及していったゾーンディフェンスとプレッシングをモノにできるかどうか。パウロ・ロベルト・ファルカン、加茂周と過去の代表監督もこの課題に取り組んだが上手くいかなかった。トルシエ監督の指導力とともに、新しい戦術を吸収できる選手が育ってきた98~02年は一気に時計の針を進めることができた。