オシム時代と岡田時代、使われ方の違い
日本の武器は攻撃にある。だが、自陣深く押し込まれた状態では持ち味を発揮しにくいうえに、最終ラインの弱点も露見しやすい。そもそも「籠城戦」に基づく人事はしていないから、そうなるのも無理はない。狙いは城から出た「野戦」にある。だが、強豪相手の現実とは敵の圧力に押された「後退戦」であり、不本意にも城に逃げ込む形となった。
敵陣を突き崩す力以上に、敵の侵入を食い止める力が足りない。歴代の日本代表が何度も直面してきた「理想と現実」のギャップである。その溝を埋める手立てを講じたのが、強国との「最後の腕試し」となったオランダとベルギーとの連戦であり、ここで長谷部とペアを組んだのが、ボールハントの申し子である山口蛍だった。
そして、攻守のバランスに回復の兆しが見えた日本は、1勝1分けで遠征を乗り切ることになる。同時に、遠藤のベンチスタートの始まりでもあった。
かねてから遠藤の守備力を不安視する声はあった。これに最も敏感だった指導者が、かつて日本代表を率いたイビチャ・オシムだ。ドリブルで攻め上がってくる相手からボールを奪おうとせず、簡単に抜かれてしまう悪癖を「致命的な欠点」と看破し、一貫してボランチでの起用を避けた経緯がある。
逆に、岡田武史前監督は球の集配力に卓越した遠藤をボランチの軸に据え、長谷部と組ませたが、最後の最後に修正を施している。アンカーの補充が、それだ。ここに阿部勇樹を使い、遠藤と長谷部のペアに潜在するリスクの回避に心を砕いた。最終ラインのプロテクト以上に、全幅の信頼を寄せる遠藤の長所を十全に引き出すためのシステムと言えた。
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