代表チームが一丸となった戦う意義。国民への強い影響
さらに同年、アフリカ最優秀選手に輝いたドログバは、北部の都市、ブアケに凱旋する。南部の出身選手であるドログバには一抹の不安があったが、空港についた瞬間、それが杞憂であることがわかった。
北部の人々から大きな拍手喝采で迎えられたドログバは、次のホームの代表戦を、北部で行うことを宣言。そして実際にW杯予選のマダガスカル戦がブアケで行われることになり、コートジボワールは4-0で勝利を収めた。
この試合が無事に行われたことで、北部の状態に安堵した南部の人々は、長らく会うことができなかった友人や家族に再会するため、北部のブアケを訪れたそうだ。歴史的な一戦となったマダガスカル戦は、コートジボワールの北部と南部の交流が、実質的に再開するきっかけとなった。
36歳を迎えて、すでにピークが過ぎたと言われるベテランのドログバだが、このような背景のため、いまだに国民の間ではサッカー選手の枠を超えた絶大な人気を誇る。2011年の内戦終結を受け、ドログバは政府が創設した「対話・真実・和解委員会」のメンバーに加わった。
コートジボワールの未来は、サッカーが切り拓いてきた。
10日の記者会見に臨んだコロ・トゥーレは、「内戦が終わったコートジボワールにおいて、代表チームが及ぼす社会的な影響をどう考えているか?」という著者の質問に対し、次のように答えてくれた。
「内戦が起こったとき、私たちはフットボールを通して国がひとつになろうと、そればかりを考えていた。なぜなら私たちのプレーを楽しむために、人々は皆、代表チームに注目しているからだ。
私たちはそれぞれが違う地域の出身だが、一緒にプレーすることを心から楽しんでいる。自分たちの姿は、コートジボワールの良い例になると思っている。
違う地域から集まった私たちが、一丸となって闘うこと。それは本当にタフで、すべてが難しい状況だ。しかし、私たちは常に一緒にいる。それが最も大切なことだ。仮に何か同意できないことがあっても、それでも一緒にいて、同じ目的を共有する。私たちはそういう集まりであるし、良い態度を見せている。フットボールプレーヤーとして、私はチームを誇りに思う」
重い言葉だ。一時はコロ・トゥーレを代表チームの構想外としたラムーシだが、再び彼を呼び戻した理由がよくわかる。