「韓国の試合ではイタリアやほかのチームとの対戦でも誤審が存在したからね」
――あなたが臨んだ初のW杯は、日韓共催で行われた大会でした。正GK争いを繰り広げていたサンティアゴ・カニサレスが負傷したことによって、大会を通してゴールを守りました。
「少し奇妙な感覚だったね。W杯前、グラスゴーで行われたCLの決勝では、負傷退場したセサル・サンチェスの代わりに僕がピッチに立ち、そのまま続けてW杯という大舞台でもゴールを守ることになった。運に恵まれていたとも感じたけど、CL決勝前の2ヶ月間はセサルにポジションを奪われていたから、W杯でプレーすることには若干の不安があったよ」
――スペインは誤審騒動が起きた準々決勝の韓国戦(0-0、PK戦3-5で敗戦)で敗退しています。
「審判がホームである相手を後押しすることは分かっていた。韓国の試合ではイタリアやほかのチームとの対戦でも誤審が存在したからね。だけど自分たちに対する仕打ちは、ほかのチームとの対戦よりもっとひどかったと思う。
スペインはあのような敗戦を喫するに値せず、準決勝に進出すべきだった。韓国戦は人生の中でも理解できない出来事の一つで、それは自分の若さや経験不足などとは関係がないものだ。審判に苛立ちを覚えたし、本当に恥ずべき戦いだった。PK戦で、僕が何もできなかったとしてもね」
――スペインはEURO2004、ドイツW杯でも辛酸をなめることになりましたが、EURO2008でついに優勝を成し遂げました。
「グループリーグ第1節ロシア戦(4-1)の勝ち方が、その後の行方を決定付けたと思う。スペインはボールを自分たちの所有物として、完全に相手を圧倒した。あの一戦によって自分たちのフットボールが通じるという確信が得られ、さらなる勢いを生み出したんだよ。
当時のスペインはベスト8の壁を破れず、疑心暗鬼とも言える状態に陥っていた。だから何度も話し合いを繰り返して、何よりも自分たちのフットボールを楽しもうと誓ったんだ。そして準々決勝イタリア戦(0-0、PK戦4-2で勝利)が運命を変える試合となり、スペインは新たなチームに生まれ変わった。PK戦で幸運を手にしたことでね」