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戸田和幸が回想する02年W杯。「大会が終わったら死んでもいいと思っていました」

text by 原田大輔 photo by Getty Images

「個人的に感じたのは、僕自身は目一杯だったということ」

――4試合を戦って感じた世界との差というのは?

戸田和幸が回想する02年W杯。「大会が終わったら死んでもいいと思っていました」
「覚悟とか想いは必要だと思うし、W杯はそれが求められる場所でなければいけないと思います」と戸田は語る【写真:Getty Images】

「ゲームの運び方という部分に関して言えば、あの時のトルコのようなチームはいやらしいというか、うまいと感じましたね。そういう状況を打開する力、術を、あの試合で僕らは見つけられなかった。

 バルセロナだってそうじゃないですか。セットプレー一発でやられてしまうこともある。サッカーってそういうものですよね。個人的に感じたのは、僕自身は目一杯だったということ。体力的にも精神的にもいっぱい、いっぱいだった。これを欧州の人は1シーズン通してやっているのかと思ったら、僕は全然だめだなって思いましたね」

――出し切ったと同時に自分が何をしなければいけないのかが見えてきた?

「すぐにそうなりましたね。騒いだのは負けた晩だけですよ。その日は、なんだこいつはって思われるくらい騒ぎましたけど、それだけ一緒に騒ぎたくなる集団だったんですよね」

――先ほど言っていた、一つの目的意識によってつながっていたんですね。

「きちんと自立した個があって、変に空気を読んでしまうような選手もいなくて。当時、ちょうど、明治維新の頃の本をばりばり読んでいて、すごく触発されてたんですよね。『龍馬がゆく』とか『燃えよ剣』とか。

 みんな出てくる人は30代で日本を変えようとして死んでいく。こういう人たちが作ってきた日本で、僕も同じ日本人としてどう生きていくかをすごい真剣に考え始めていた時期だったんです。当時の代表は、個々が本当に自立していて、選手としても人間としても確固たるものがあった。だから、小さくまとまらずにいられたのかもしれない」

――戸田さんにとってW杯とは?

「W杯が終わったら死んでもいいと思っていました。これは本当です。それくらいのものでしたね。ただ、出てみたら、死にたくなくなったというだけです。これはもう幕末の影響(笑)。覚悟みたいなものですよ。そういう覚悟とか想いは必要だと思うし、W杯はそれが求められる場所でなければいけないと思います」

【了】

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