「誰ひとり甘える人も妥協する人もいなかった」
――2010年南アフリカW杯では大会直前に戦い方を変えましたが、2002年は迷いやブレはなかったんですか?
「まるでなかったですね。大会中にマイナーチェンジしたところはありました。ベルギー戦の57分に(マルク・)ヴィルモッツにボックス内でオーバーヘッドを決められたじゃないですか。
あれで、何でもかんでもオフサイドではなく、ボックス内ではしっかりつきに行かなきゃダメなんじゃないかって話をした記憶はありますね。ベルギー戦は負けなくてよかったというよりも、個人的には勝てた試合。それで、ボックス内の守備についてという流れにつながっていくんです」
――2002年のメンバーには中山雅史さん、秋田豊さんと、ベテランが選ばれました。ベテランがチームに与えた影響は大きかったですか?
「年齢を重ね、経験を積んでいる人たちがいたことで、チームが変に舞い上がったり、ネガティブになったりと、右へ、左へ大きく揺さぶられることはなかった。中山さんはとにかく一生懸命で、底抜けに明るかったし、チームにいてくれていいことしかなかったですよね。
僕自身はそれほど余裕がなかったんですけど、のびのびやらせてもらえたと思います。その後の自分のキャリアを振り返っても、この時くらいまでですかね。何も気にせずにのびのびやれていたのは……」
――話を聞いていると、当時のチームは、真のプロ集団というか、当時はなかなか作れなかった海外っぽさもありますね。
「本当にプロだったと思いますよ。誰ひとり甘える人も妥協する人もいなかった。目的意識によって結びつき、何のためにここに集まっているかを理解していた。だからといって、仲良くしようというのではなく、せめぎ合いをして、お互いが認め合ってでき上がったチームでした」