中村俊輔の悪循環
二度と呼び起こしたくなかったはずの記憶を、中村俊輔(横浜F・マリノス)は抑揚のない口調とともにたどりはじめた。
「南アフリカではまったく試合に出られなかったけど、勝つためにチームが一丸となっていく日本人ならではの体験をすると、自分がいざ指導者になったときに使えると思う」
2010年6月。岡田武史監督(当時)に率いられる日本代表で不動のトップ下として君臨してきた俊輔は、失意のどん底に突き落とされた。
サッカー人生の集大成にしたいと誓っていたW杯南アフリカ大会へ万全の心技体で臨むために、俊輔は2月下旬になってエスパニョールから古巣のマリノスへ復帰した。しかし、ヨーロッパにおいてはシーズン終盤へ向けて時を刻んでいく体内時計が、開幕とともにコンディションをどんどん上げていくJリーグになかなか順応できない。
サブに甘んじていたエスパニョールでの日々で失っていた試合勘も、そう簡単には取り戻せない。右太ももの裏にはじまり、左足首、左足の甲と体も悲鳴を上げ続けていた。自信を失いつつあったメンタルと合わせて、文字通りの満身創痍状態だった。
それでも試合を休むことを極端に恐れる俊輔は、J1のピッチに立ち続けた。マリノスの木村和司監督(当時)は、俊輔を蝕む悪循環をこう指摘していた。
「もうちょっと体の切れを戻さないと、W杯では大変よ。いまのままじゃきついよね」