悲劇的なエスコバルの死
コロンビアは1994年アメリカW杯の南米予選でアルゼンチンを撃破するなど快進撃を見せ、本大会への出場権を獲得する。予選で見せた華麗かつパワフルな戦いぶりゆえに、ペレからも優勝候補に名指しされるほどだった。
しかし、最大のパトロンであるエスコバルがコロンビアの晴れ舞台を見ることはなかった。93年12月、メデジン・カルテル壊滅を目指す治安部隊特捜チームの一斉射撃により、44年の短い生涯を閉じたためだ。そしてW杯本大会での躍動が期待された代表チームには、さらなる悲劇が待ち受けていた。
カルロス・バルデラマやフレディ・リンコン、ファウスティーノ・アスプリージャといったタレントを擁し、優勝候補の一角としてアメリカW杯に挑んだコロンビアだったが、初戦でルーマニアに1-3と敗戦。勝利が必須となった第2戦でも格下のアメリカに1-2と敗れ、早々とグループステージ敗退が決まってしまった。
この試合ではDFアンドレス・エスコバルのオウンゴールでアメリカの先制点が生まれた。奇しくも麻薬王エスコバルと同じ姓を持ち、彼がオーナーを務めるA・ナシオナルでプレーしていた守備リーダーの運命は、この瞬間に決まってしまった。
失意のうちにコロンビアに帰国してから10日後の94年7月2日、エスコバルはバーから出てきたところを銃撃され、帰らぬ人となってしまったのである。12発もの銃弾を撃ち込まれ、ほぼ即死だったという。
犯人のウンベルト・ムニョス・カストロが「オウンゴールをありがとう」という“宣告”とともに銃撃したと伝えられたことから、サッカー賭博でこの試合に賭け、大損した犯罪組織による報復ではないか、という説が浮上した。麻薬王エスコバルとの密接な繋がりゆえ、メデジン・カルテルの対立組織が絡んだ犯行ではないか、という見方もあった。
犯罪組織の関与の有無は定かではないが、サッカー選手が銃殺されたこの事件によって、コロンビアの治安の悪さ、犯罪発生率の高さが世界中に知れ渡ったことは間違いない。