知られざる海外クラブからのオファー
国内組であることに自信を持ってプレーし続けた4年間だった。
遡ること4年前、南アフリカW杯後には、チームメートだった川島永嗣やチョン・テセ同様、中村憲剛の元にも欧州クラブから身分照会があったという。それは、オランダのある有名クラブからだった。
もっとも、正式なオファーではなく、移籍に興味があるならば獲得を検討するというレベルのものだったそうだが、当時29歳でプレイヤーとして完成してきた手応えを感じていた中村の心の中には、自分の力を海外で試したい気持ちも少なからずあったという。だが彼はフロンターレでプレーすることを選んだ。理由を明かす。
「クラブの事情もあるし、テセやエイジとは在籍歴が違うから、あそこで自分が出て行くわけにはいかなかった。サポーターとしても『行かないでくれ』という気持ちだったと思うし」
その年のシーズン後、今度は欧州から具体的なオファーが届いてプロになってから一番というほど悩んだが残留を決断。海外組ではなく国内組として自分のプレーを磨き続けることを選択した。
そんな中、2012年の途中から指揮を執った風間八宏監督との出会いが転機となった。まず就任した指揮官に、「ここ1~2年は50%でしかプレーできてないんじゃないか?」と厳しく指摘されて、さらにこう言われた。
「今まではチームの為に50%でやっていたと思うけど、そんなの考えなくてもいい。お前が100%でやって、それに合わせるチームを作るから」
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