選手と監督の違いは些細なもの
――アトレティコ指揮官としてのあなたは、タイトル獲得によって歓喜の声を上げてきました。それは3人のお子さんと離れて暮らすことを、埋め合わせるものでしょうか?
「息子たちと離れて暮らすことは、私が人生の中で下した一つの選択だった。それと同時に、希望や情熱を呼び起こすような、確信できる道を見つけ出すべきということを、息子たちに考えさせるきっかけとなるはずだ。
私はフットボール、この仕事を愛している。それに息子たちはもう大きいし、母親がしっかりと気を配っている。それでも子供にとって、父親と離れて暮らすことは難しいかもしれない。
だからこそ息子たちを近くに感じ、彼らが過ごす日々を細部まで把握しようと試みている。私が話しているのは、彼らと過ごす時間などの量的なものではなく、交わす会話などの質的なものだ。自分は彼らのそばにはいない。が、そう感じられるように尽くしている」
――現役時代のあなたは闘志をたぎらせ、狡猾ながら際どいプレーも多い選手でした。ですがアトレティコの監督としては、一度も退席処分を命じられたことがありません。
「アルゼンチンでは、エストゥディアンテスを指揮していたときに一度だけ退席となった。あれはボカ・ジュニアーズ戦だったね。アトレティコの公式戦では確かに退席していないが、プレシーズンに南米ツアーへと繰り出したときに一度あった。
ただ選手、監督としてのシメオネの違いは些細なものに過ぎない。ピッチに立ち、走り回っていた“チョロ”はフットボールの選手だった。監督の“チョロ”も同一人物であり、立っている場所だけが違う」
――公の場でのあなたの姿は、強靭な精神の持ち主で、弱点などないように映ります。シメオネという人間は、泣くこともあるのでしょうか?
「もちろんだよ。私は情にもろい人間だ」
――プライベートでは、そのような人間と想像することもできます。しかしながら、あなたが涙を流す姿は想像し難いものがあります。
「泣くとは言っていない。そうではなく、情にもろいんだよ。素晴らしく、感動的なことには心を動かされる。だがネガティブなことで揺らぎはしない。素晴らしいことにハートをつかまれる」