バルサでタイトル獲得も内紛…。日韓W杯でまさかの予選敗退
97-98シーズンには、ボビー・ロブソン監督の後任としてバルセロナの監督に抜擢。初年度からリーガ・エスパニョーラとコパ・デル・レイの2冠を達成し、翌98-99シーズンもリーグ連覇に導くなど一定の成功を収めた。この時期には現チェルシー監督のジョゼ・モウリーニョがアシスタントコーチを務めている。
ところが、クライファートやライツィハー、フランク&ロナルドのデ・ブール兄弟、フィンランド代表のリトマネンらアヤックス時代の教え子に加えてコクーやゼンデンらオランダ人を多く獲得。彼らを優先的に起用したことで地元カタルーニャのメディアやファンから批判を浴びた。
さらに、当時エースだったリバウドとも衝突。トップ下での起用を望むリバウドに対して、左ウイングでのプレーを求めたことで対立を深めたのである。漫画「キャプテン翼」でモデルとなったリバウールとファンサール監督の信頼関係とは正反対の関係にあったのだ。
2000年には日韓W杯欧州予選を戦うオランダ代表監督に就任。前述のバルセロナの面々のほか、ファン・デル・サール、メルヒオット、ダービッツ、セードルフといったアヤックス時代の教え子で固めたものの、まさかの予選敗退。
ポルトガルとアイルランドの後塵を拝し、日本の土を踏むこと無く任を解かれた。ファン・ハールは、このことを「私のキャリア最大の失望」と語っている。
実はこの当時、マンチェスター・ユナイテッドのアレックス・ファーガソン監督が01-02シーズン限りでの引退を示唆しており後任に挙がっていた。実際に交渉も行われていたが、ファーガソン監督が引退を撤回したことで破談となった。09年にファン・ハール自身がイギリスメディアに明かしている。
そして、02-03シーズンからはバルセロナに復帰。ところがファン・ハールの復帰を知ったリバウドはバルセロナを退団。19試合で6勝5分け8敗の12位と低迷し解任された。