10年にはアマチュアの5部に降格。経営陣の再編経て3部へ
そしてチームが2004年にセリエBに降格してから1年後、クラブには多大な負債が残り、プロ登録抹消処分を受けることになった。その後、計画倒産の疑いによりガウッチには逮捕状が請求され、他にも多数の余罪を抱えた彼は、数年間ドミニカ共和国に雲隠れする事になった。
路頭に投げ出されたペルージャは、受難の日々を味わう事になった。プロクラブ救済法「ペトルッチ裁定」(※クラブが破産したときに、別の経営者がクラブ経営を引き継ぐのであれば、所属選手と改めて契約し、ひとつ下のカテゴリーから再スタートできるという救済システム)が適用され、1カテゴリー下のセリエC1(当時の名称)から再スタートを切ることになる。
しかし厳しい道のりが待っていた。クラブは新しく設立した新会社のもとで存続することになったが、監督や選手などの人的資源は前体制から存続させる事が出来ない。
収入基盤の弱いただの地方クラブと化した彼らはその後5年間セリエC1に留まり、経営者の交代が繰り返された後、2010年には再び倒産の憂き目にあって実質5部リーグでアマチュアのセリエDから出直すことになった。
再び経営陣の再編を余儀なくされたクラブは、2年がかりで3部への昇格を果たし、現在に至っている。その彼らの実像に迫るべく、ペルージャに足を運んでみた。
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