日本でも増えつつある“ハーフ”。海外で活躍する日系人とは?
コソボ出身でアルバニア国籍の両親のもと、ベルギーで生まれ育ったアドナン・ヤヌザイは、ベルギー代表を選択したとクラブの公式HPが伝えた。
当然と言えば当然の選択だったが、19歳の逸材がどの代表チームを選択するのかは一時期大きく報じられていた。複数の国籍を所有することは日本では一般的ではないものの、国内情勢や地理的な都合もあってアジア以外の地域ではむしろ当たり前のことと言えるだろう。
とは言え、酒井高徳、長谷川アーリアジャスール、カレン・ロバート、鈴木武蔵など帰化ではなく出生の段階から複数の国籍を選択できる選手が日本でも増えつつある。サッカー界以外でもハーフタレントがバラエティー番組を席巻し、ダルビッシュ有はメジャーリーグの猛者たちから三振を奪いまくっている。
では逆に、日本人の血を引いていながら、海外で活躍する選手はいるのだろうか?
代表的なところでは日系3世のブラジル人、ロドリゴ・タバタだ。06年から08年から所属したブラジルの名門サントスでは、通算154試合に出場し42得点を記録。その後はトルコのガジアンテプスポル、ベシクタシュを経て現在はカタールのアル・サッドに在籍している。
攻撃的MFとして確かな実力を持ちながらも、層の厚いブラジルでは代表に縁がなく、かつては日本代表入りも検討していたとされるが実現はしなかった。
日本人の父親とスウェーデン人の母親のもとに生まれたステファン・イシザキは、スウェーデン代表として13試合に出場。IFエルフスボリの主力としてリーグ優勝に貢献するなど、国内では有名な右サイドのアタッカーだ。
かつては日本代表でのプレーを望んでいたが、JFAとのコネクションがなく、年代別代表での日本遠征の機会を病気で逃し断念したという。現在はデイビッド・ベッカムも在籍したMLSのロサンゼルス・ギャラクシーに所属している。
最大のビッグネーム、ダビド・シルバ。母親が日系人
そして、最大のビッグネームと言えば、マンチェスター・シティのスペイン代表ダビド・シルバだ。ブレーク当時は、顔がアジア人のようでエキゾチックだとしてスペイン人女性から高い人気を誇った。
しかし、物静かな選手でもあるため自身のルーツを語ることは無く、当時はフィリピン系か? 中南米系か? と、様々な憶測を呼んでいた。
そして、2011年にYahoo!東南アジア版のインタビューで「アジアは母のルーツだから、僕にはほんのわずかだけどアジアの血が流れている。まだ幼かった頃、日本人の血を引く母は日本の文化とライフスタイルについて話してくれた。正直なところ、あまり覚えていないけどね」とついに自らの口で明かしたのだ。
ダビド・シルバの母、エヴァ・シルバさんは日系人でカナリア諸島に住むフェルナンド・ヒメネスさんと結婚。ダビド、ナタリア、フェルナンドの3人の子宝に恵まれた。
カナリア諸島は日本とも縁が深い地域で、日本の遠洋漁業基地がある。また、テルデ市にあるヒロシマ・ナガサキ広場には、スペイン語で書かれた日本国憲法9条の碑が平和の象徴として建てられている(改憲した場合どうなるのか気になるが)。
3兄弟の長男ダビドは、8歳の頃から地元カナリア諸島にあるサンフェルナンドでプレー。当初はゴールキーパーを務めていた。そして、14歳の時にバレンシアから契約のオファーを受ける。
このオファーに最初は驚きながらも、国内有数の強豪からの誘いを断るはずもなくサイン。家族はまだ幼い長男との別れを悲しみながらも、夢を追う彼を送り出したという。
しかし、自然豊かなカナリア諸島で、家族や親戚、隣人たちに囲まれ温かな愛情の中で育ったダビド少年は、早々に壁にぶち当たってしまう。大都市バレンシアに移った当初のことを「非常に辛かった」とスペインメディア「laprovincia」で回想している。
「毎日のように朝8時に祖母へ電話して、逃げ出したい気持ちを伝えたんだ。しかし、祖母は常に強い人だから私を突き放した。“ダビド、あなたはほとんど話をしない。内気すぎるのよ”とね」