悲劇の始まりは17歳のときから
ハリー・キューエルが静かにピッチを去った豪州サッカー。国内リーグの最高峰であるAリーグが、上位6チームで争うファイナル・シリーズへと進んで佳境を迎えつつある。その盛り上がりとイースター(復活祭)休暇の少し浮かれ気分の中、予想もしていなかった悲報が18日に届いた。
日本の一部メディアでも翻訳記事が流れたようだが、早くから将来を嘱望されたウェスト・ハム・ユナイテッド所属のオーストラリア人FWディラン・トンビデスが、20歳になったばかりの若さで、その余りに短い人生を終えた。
トンビデスは、イングランド・プレミアリーグのウェスト・ハムのユースに入団するため、15歳という若さで生まれ育った豪州西部のパースを離れた。若くしてイングランドに移った経緯やそのプレースタイルから“ハリー・キューエル2世”と評される有望株だった彼の順調なキャリアに、突如、暗雲が立ち込めたのは、豪州U-17代表(愛称はジョーイズ、仔カンガルーの意)の主力として臨んだ2011年6月のU-17W杯メキシコ大会だった。
同大会の予選リーグ・コートジボアール戦で決勝ゴールを決め、シンパッドに仕込んだ母親への誕生日祝いのメッセージを中継カメラに見せるゴール・パフォーマンスは、豪州国内でも評判となった。
しかし、その大会での活躍の裏では彼自身も思いがけない事態が進行していた。決勝トーナメントに勝ち進んでの初戦、ウズベキスタン戦(0-4で敗退)の試合後に行われたランダムの尿サンプル検査で、最初の異常が見つかる。その後の精密検査を経て、思いも寄らぬ「精巣ガン」罹患という非情な現実が17歳のトンビデスに突き付けられた。