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香川の恩師クロップ監督はマンU、バルサに適任か?哲学から適正・実現度を読み解く

text by 海老沢純一 photo by Kazhito Yamada / Kaz Photography , Ryota Harada

現役時代は2部での出場のみ。マインツ1部定着の礎を築く

 現役初期のポジションはストライカー。1975年に地元のグラッテンのユースチームに加入。その後、83-84シーズンにアマチュアクラブのエルゲンツィンゲンに移籍し、86-87シーズンにトップチームデビューを果たすと、翌87-88シーズンには1部のフランクフルトへ移籍。

 しかし、リザーブリーグでのプレーのみで89-90シーズンにはヴィクトリア・ジントリンゲンに期限付き移籍。結局トップチームでの出場機会は無く、90-91シーズンからは2部のマインツに加入した。

 95年にはFWから右サイドバックに転向し、計11シーズンで当時クラブ最多出場記録となる325試合に出場し52得点を挙げた。このように、マインツにとっては重要な選手だったものの、世界的に名の知れた選手では無かった。

 そして00-01シーズン途中の01年2月28日にエックハルト・クラウツン監督が退団すると、そのまま現役を引退して33歳で監督に就任した。

 就任当初は降格圏に沈んでいたものの、最終的には14位で残留。翌01-02シーズンは1部昇格まであと一歩に迫る4位に躍進。02-03シーズンの4位を経て03-04シーズンに3位に入りクラブ初の1部昇格に導いた。

 1部昇格後は、04-05、05-06シーズンとも11位で残留。さらに、04-05シーズンにはUEFAフェアプレー賞を受賞し翌シーズンのUEFAカップへの出場権を獲得。1回戦で最終的に優勝を果たしたセビージャに敗れるも、小規模なクラブにとっては快挙とも言える偉業を果たした。

 しかし、06-07シーズンには16位で2部降格。翌07-08シーズンも1年での再昇格を目指して留任するも2部4位で昇格を逃し、そのシーズン限りで退任した。

 8シーズンに及ぶマインツでの指揮は、岡崎慎司ら代表選手も在籍し1部に定着している現在の礎を築いたとも言われている。

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