選手のオールラウンド化とポジション分業制
すべての選手が攻撃に参加し、すべての選手が守備をする時代が来る、1970年代にはすでにそう言われていた。
ポジション分業の時代から、全員攻撃全員守備の時代へ……もっと以前から、それを予見していた人もいたが、70年代になると指導者のほとんどがオールラウンド化を唱えていた。
ところが、それからサッカーは流れを少し変え、分業制はむしろ明確になっている。全員攻撃全員守備が70年代に描かれた未来のサッカー像であったのは、おそらく当時の守備戦術が基本的にマンツーマンだったからだろう。
マンツーマンである以上、人がオールラウンド化すれば当然の成り行きとしてサッカーもそうなるからだ。例えば、西ドイツ代表のレフトバックだったパウル・ブライトナーはもともと中盤のプレーヤーで攻撃力が図抜けていた。西ドイツの攻撃時には攻め上がっていく。すると、ブライトナーをマークする相手チームのFWにも守備力が求められる。
選手個々の攻守の能力が向上すれば、全体にオールラウンド化が進むと考えるのは当然だった。しかし、実際にはそうはならなかった。80~90年代にゾーンディフェンスが定着したからだ。
前の例に当てはめると、ブライトナーが上がってきてもゾーンの場合はFWがマークにつききる必要はない。数を合わせるために下がる必要はあるが、ブライトナーが味方の右サイドバックのゾーンに入った段階でマークを受け渡してしまえばいい。つまり、右サイドのトップからサイドバックの手前までの受け持ちゾーンを守れればいいわけだ。