東アジアカップでの招集を本気で狙っていた川又
ザックジャパン発足の2010年は、アルビレックス新潟3年目に突入しながら試合出場機会をほとんど得られず、日本代表入りなど夢のまた夢だった川又堅碁。
その彼が2012年のファジアーノ岡山へのレンタル移籍で覚醒し、新潟へ復帰した2013年J1には得点王のタイトルを獲った大久保嘉人に次ぐランキング2位の23ゴールをゲット。日本代表入りへの期待が一気に高まった。
本人も昨年夏の東アジアカップでの代表招集を本気で狙っていたようだが、ふたを開けてみると、呼ばれたのは柿谷曜一朗、大迫勇也、豊田陽平といったライバルたち。親友・鈴木大輔には「マジで悔しい」と本音を吐露したという。
そこで活躍した柿谷、大迫が代表定着を果たし、豊田も2度3度と呼ばれる形となり、川又は出遅れを余儀なくされた。それでも本大会メンバー決定前最後の国内組サバイバルの場である千葉合宿(4月7~9日)に呼ばれ、ラストアピールのチャンスを得た。
「テレビで見ていた時は『日本代表のサッカーはこんな感じかな』と思っていたけど、こうやって集まってチームコンセプトをピッチで再現してみたら、最初はかなり戸惑った。ちょっとイメージはつきましたけど、自分のよさはまだ出せてないです。こういうことなのかなというのは多少、分かりました。
ザッケローニ監督はテレビで見ていた時から熱い人だと思ってた。僕はそういう人が好きなんで、指導してもらってうまくなりたいと思います。ワールドカップのことばかりを意識するんじゃなくて、1日1日を大切にして、目の前にある今を大事にして練習を一生懸命やりたい」と彼は意欲満々だった。