ジーコの兄も縁がなかったセレソン
「今でも70年W杯のブラジル代表を見るといいサッカーをしていたと思います。どうして、ああいう選手が揃ったのですか?」
ぼくの言葉に、カルロス・アルベルトは愛嬌のある褐色の顔をほころばせた。
「ブラジルでは普通のことだよ。この国は広く、たくさんの人がいる。サッカーはここで最も人気のあるスポーツだ。そして人々はこのスポーツに愛情を注いでいる。常にいい選手は産まれてくるんだ。ただ、我々の時代にはペレという特別な選手がいた。だから、そういう評価を受けるんだろうね」
そしてこう付け加えた。
「あの頃のブラジルには代表には選ばれていない、優れた選手がまだまだたくさんいた」
「ジーコは、兄のエドゥーはあの時代でなければ、セレソンで活躍したはずだと良く言います」
エドゥーとはジーコが日本代表監督時代にコーチを務めたエドゥー・コインブラのことだ。彼はリオ州のアメリカという小さなクラブにいたため、代表には選ばれたが中心選手になれなかった。負けず嫌いのジーコは兄が十分な評価を受けなかったことを悔しそうに語っていたことを思いだした。
「エドゥーもいい選手だったね。あのレベルならば今ならば代表で中心選手としてやっているだろう。ただ、当時、あのポジションでは“3番目”の選手だった」
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