「もうおれには止められねえよ」(中村忠)
そうして時計の針は、緑の時代に巻き戻される。高木、小林ら92年組の俊英をスカウトしてきたのは、当時東京ヴェルディジュニアユースの監督を務めていた菅澤大我(ジェフユナイテッド千葉U-15監督)の仕事だ。
以降、永田雅人(千葉U-18コーチ)、丸山浩司(ファンルーツアカデミーコーチ)、柴田峡(松本山雅FCコーチ)、松田岳夫(ASエルフェン埼玉監督)、冨樫剛一(東京ヴェルディユース監督)、中村忠(FC東京U-15むさしコーチ)、楠瀬直木(FC町田ゼルビアアカデミーダイレクター)、川勝良一(解説者)ら、多くの指導者と接してきた。
「どの指導者も自分たちを少しでも良くしようと、さまざまな声を掛けてくれました。冨樫さんは言葉で乗せるのが巧かったし、中3のときにユースで使ってくれた柴田さんにはその期待にどうにかして応えたいと思った。あと、ミニさん(中村忠)はライバルみたいな設定でしたね」
中村は2004年シーズンを最後に現役を引退。翌年から東京ヴェルディのアカデミーで指導者のキャリアをスタートさせた。その時期は高木が東京ヴェルディジュニアユースに加入したタイミングと重なっている。
「中1のときだったかなぁ。ミニさんがゲームに入って、なぜかおれのマンマークについたんです。全部止められましたよ。抜けるわけないじゃないですか。まだ現役を引退して間もない大人を相手に。
それからもミニさんにはプレーを通じて、たくさんのことを教わりました。ゲームの合間に、ちくちく言ってくるんですよねえ。『ほれ、止めてやったぜ』『いまの失点はおまえがさぼったせいだぞ』と」
月日は流れ、一方はぐんぐん成長し、一方は徐々に衰えてくる。やがて力関係は均衡し、逆転する時期がやってきた。ユースの頃には「ミニさん、次のゲーム入ってくださいよ」と高木が誘うと、「もうおれには止められねえよ」と中村は力なく首を振った。高木はそのときの胸にじんわり広がる、ちょっぴり悲しい気持ちを憶えている。