長友にとって最大の山場となった2012年欧州遠征
2010年南アフリカW杯ではカメルーンのサミュエル・エトオ、オランダのエルイェロ・エリアらをマークして「エースキラー」として活躍した長友佑都。彼がベスト16入りの原動力となったことは誰もが認めるところだ。
ザックジャパン発足後もカタールで行われた2011年アジア杯制覇に貢献するなど、不可欠な存在と位置づけられてきた。とりわけ、香川真司との左サイドは「日本の生命線」とも言われ、攻撃の重要な起点となっていた。
そんな長友だが、2011年夏の右肩脱臼以降、何度かケガで日本代表を離れることがあった。2011年は9月の北朝鮮戦から始まったW杯3次予選序盤2連戦を欠場。
10月のタジキスタン戦には復帰したが、右ふくらはぎの炎症を訴えて11月のタジキスタン、北朝鮮とのアウェー2連戦で再び離脱を余儀なくされた。
やはりインテルというビッグクラブに身を投じたことで、心身ともに消耗度が高まったのだろう。それでも2012年になってからはコンスタントに代表に参戦。彼にとって最大の山場となった10月のフランス、ブラジルとの欧州遠征2連戦を迎えた。