ジーコ創設のサッカー施設。現地では冷ややかな目
ブラジルではサッカーはストリートで産まれる、と言う。
物心ついた頃からソックスを丸めて作ったボールを蹴り始め、ストリートに出る。そこでサッカーに必要な技術を身につけるのだ。ボール扱いに上手い年長の子どもの足技を真似することもあるだろう。
ストリートで駆け引き、マリーシア(ずる賢さ)――ピッチの中に必要なものを身につけるのだ。ここで才能を見せた子どもは、近くのサッカークラブのふるいに掛けられ、さらに磨かれる――。これが長年のブラジルのサッカー選手の作られ方だった。
状況に変化が起こったのは、今から20年前、90年代半ばのことだった。
95年、鹿島アントラーズで現役引退したジーコが、生まれ故郷のリオ・デ・ジャネイロに自らの名前を冠したサッカー施設、セントロ・デ・フッチボール・ジーコ(CFZ ジーコ・サッカー・センター)を始めたのだ。
ぼくはこの施設の初日を取材している。ジーコと一緒にプレーした、元ブラジル代表サイドバックのジュニオールなど錚々たる元選手でごったがえしていた。ただ、ブラジルでは冷ややかな見方をされていることも覚えている。
――金持ちの子どもを集めてサッカーを教えて意味があるのか。
その後、ブラジル経済は好転し、ごく一部の富める人たちと、それ以外の貧しい人たちという社会構造が変わりだした。
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