J1昇格プレーオフ進出につながった監督の一言
うだるような暑さに見舞われた昨年8月中旬。J2戦線で開幕前の下馬評を覆す快進撃を演じてきたV・ファーレン長崎は、最大のエアポケットに陥っていた。2つの引き分けを含む5試合連続の勝ち星なし。しかも、18日にアウェイでアビスパ福岡に1対2と苦杯をなめてから、休む間もなく中2日で横浜FCをホームに迎えなければならない。
仕切り直しとなる練習を前に、高木琢也監督はミーティングで初めて口にする言葉を選手たちに告げる。
「プレーオフ、出るぞ」
失速したといっても、順位はJ1昇格プレーオフに進出できる6位に踏み止まっていた。残りは13試合。下を向く必要はない。高木監督が当時の心境を振り返る。
「こんなチャンスはないと思ったので。そのためには、選手たちにギアをもうひとつ入れて欲しかった」
指揮官の檄が長崎を蘇生させる。横浜FC、ガイナーレ鳥取に連勝すると、9月1日にはアウェイで首位のガンバ大阪をも撃破。6位でフィニッシュし、J1昇格プレーオフにコマを進める勢いときっかけを自らの手でつかみとった。
2012年12月、高木監督は生まれ故郷の長崎県に初めて誕生したJクラブを率いることを決めた。初年度の目標を12位以内と掲げたが、あくまでも「最高でその順位」という意味だったと苦笑いする。
「J2残留が一番の目標でした。選手の入れ替えやクラブの経験値を含めて、すべてが一からのスタート。ここで残留しないと、クラブの存続自体も危ないとも思いました。残留を目指しながら、地固めをしっかりとしていかなきゃいけないと」
開幕時のチーム陣容は29人。JFLを制した前年のメンバーから8人が抜け、10人が新たに加わった。その大半が他クラブで戦力外を告げられ、高木監督のラブコールを受けて長崎入りを決めた選手だった。