20歳で代表正GKの座を掴んだカシージャス
2002年の日韓W杯、スペイン代表は韓国の蔚山にて合宿を行っていた。
代表監督のホセ・アントニオ・カマチョは「代表の手綱はラウルが引っ張る」と公言してはいたが、同じ代表内にはフェルナンド・イエロ、サンティ・カニサレス、ルイス・エンリケなど、リーダーシップあふれる頼りになる兄貴分が多くいてラウルを影から支えており、“キャプテン”のラウルも必要以上にプレッシャーを感じることはなく、試合に集中できる最高の環境にあった。
若きプジョルやチャビ、ホアキンなども抱え、ベテランと若手のバランスが取れた代表に、今年こそはと誰もが大きな期待をスペインに懸けていたが、正GKのカニサレスが宿舎内で足の指を怪我して、大会欠場が決定。
その時の代表のお通夜のような空気を今でも思い出す。選手が攻撃に集中できるのは、“守備はカニサレスに任せておけば大丈夫”という強い信頼があり、それは当時のスペインのプレースタイルの鍵の一つだったのである。
そのカニサレスに代わって、急遽正GKを任されることになったのが、第二GKとして呼ばれていた若きイケル・カシージャスだ。当時20歳だったカシージャスがいきなり負わされたそのプレッシャーは、どれだけのものだったか。
それはトップチームに上がったばかりの20歳の青年には、想像を絶する究極の状況だった。最終的にスペインは韓国戦でジャッジミス等の不運もあり、PK戦の末、敗退することになるのだが、カシージャスは自身が置かれた苦境を見事に乗り切った。
同じチームだったイエロやエルゲラなどのフォローがあったにしても、カシージャスの負けず嫌いな性格とGKとしての才能が世界の大舞台で試された瞬間だったと言えるだろう。
その時から、カシージャスはスペイン有数のビッグクラブ、レアル・マドリーの顔となった。マドリーでもスタメンを手にし、攻撃に比べてディフェンスの補強が弱いマドリーの最後の砦となり、この10年間ゴールを守り続け、クラブのピンチを何度となく救ってきた。